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01 月 18 日 ( 日 )

Dive #113 1990 年 3 月 21 日 和歌山県白浜町円月島の意味

最近、日本で初めて潜水指導団体を作り、今でもよりよいダイバーの集まりを作ろうと尽力されている日本ダイビング界のレジェンドでもある須賀次郎さんのブログをかぶりつきで読んでいます。

ぼくがまだ小学生や中学生の頃に、ダイビングの専門誌で読んだ話がたくさん出てきます。そんな中、下のような文章に突き当たりました。

そして、秋、海洋公園の友竹から会社に電話がかかってきた。娘の同級生が立ち泳ぎで心臓麻痺を起こして亡くなったという知らせだった。

きけば、7-8キロのウエイトを持って30-40分を泳ぐ練習になっていた。

それと同じような事故がその後にも引き続いて2例、やはり関東学生潜水連盟の大学で起こった。学生連盟も、そして一般にも、ウエイトという負荷をかける立ち泳ぎ練習は禁止、行われないようになった。

確かに、体育会系の空気のうちに、波が来たと言っては先輩がバケツで水をかけ、溺者にしがみつかれたと言って沈められたりする練習はしごきに見える。

これがぼくが子供の頃、ダイビングのトレーニングでは普通に行われていました。

ぼくが 1987 年に NAUI Open Water I Diver になり、ずっと後になってから NAUI の ITC を受けた時に、やはり生きるか死ぬかというような課題が課せられていました。それに対してぼくはその後声高に否!!と叫んでいました。

でも須賀さんのブログを読んで、やっとそれらの高リスク・トレーニングの意味がわかりました。わかったと同時に、ぼくが 1990 年 3 月 21 日に小野寺くん (仮名) と受けた CMAS 1 Star Diver のためのレスキュートレーニングがぼくや小野寺くんにもたらした変化とそれが結びついたのでした。

どう結びついたのかの説明の前に、ぼくと小野寺くんが 1990 年 3 月 21 日に和歌山県白浜町の円月島の岩場の海岸でどのようなレスキュートレーニングを受けていたのか、再掲になりますし、長くなるのですが、まるっと引用します。

迫真の演技で溺れるスキンダイバーを演じる高嶋さんとレスキューに入るぼく
パニックダイバーを演ずる高嶋インストラクターにマスクもスノーケルも蹴り飛ばされ、よじ登られ、沈められ、本当に溺れそうになっているぼく
バディが意識を失うまで待ち (もちろん演技)、曳航にとりかかろうとするぼく
あくまでトレーニングだと言うとを忘れて、まじでレスキュー曳航を必死になって行うぼく
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翌日は全日スキンダイビングのレスキューに充てられました。場所は前日と同じく円月島です。

大山くん、ぼくが水面での溺者役をやるからレスキューしてみて。オープンでやったとおもうけど。と CMAS コースディレクターの高嶋さん。

はいと、返事するぼく。

小野寺くんは見てて、と高嶋さん。

高嶋さんが迫真の演技で水面で溺れる人を演じ始めます。

ぼくは NAUI Open Water I の講習で学んだように 5m ほどの距離で声をかけます。

相変わらずパニック状態で溺れる人を演じる高嶋さん。

ぼくは高嶋さんの左手側に回り込みます。溺者は必ず手を伸ばして救助者を掴もうとしてきます。ですから伸びてきた左腕の手首をつかんで引き寄せて、背後からホールドします。そのように Open Water I の講習で何度も練習していました。

ぼくは迫真の演技で溺れ役に徹している高嶋さんの左腕に自分の左手を伸ばします。

その瞬間高嶋さんは、ぼくをひっつかんで引き寄せ、激しく暴れながらぼくの体によじ登り始めました。

マスクもスノーケルも弾き飛ばされ、周囲は泡で真っ白になりました。い、息ができない!!

高嶋さんは情け容赦なく、ぼくの頭や肩を水面下へと激しく蹴り、ぼくの体の上に、もっと上にと、よじ登ろうとしていました。こ、これを続けられると、ぼ、ぼくがやばい。溺れる!!

も、もう、だめかも、と思ったときに、高嶋さんがぼくによじ登るのをやめました。

ぼくは激しく咳き込みながら、水面から顔を出して空気を吸います。た、助かった、そう思いました。

ぼくが落ち着いてから高嶋さんが口を開きます。

大山くんどうだった?

し、死ぬかと思いました。

怖かった?

そ、そりゃ、怖かったです。

いいか?大山くん、小野寺くんもだけど聞いて欲しい。本当に溺れている人はああなる。救助しようとした人を捕まえてパニックになりながら空気を求めてよじ登ってくる。あれでもかなり手加減しているけど、怖かったろう。

は、はい。

大山くんはぼくの左手首を掴んで、後ろからぼくをホールドしようとしたろ。

はい。

オープンの講習で習ったからだろ?

はい。

それをやると大山くん、きみは死ぬことになる。

溺れてる人は大人しくホールドなんてされない。だからあれをやってはいけない。救助者が先に死ぬことになる。あれは熟練した救助者でもできない。

ぼくと小野寺くんは息を飲む。

それじゃぁどうすればいいのか、ぼくが見せるから。今度は大山くんが溺れる役をして、ぼくによじ登ろうとしてみて。さっきのぼくみたいに本気であばれて、よじ登ろうとして。本気でね。

どれだけ迫真の演技になってるのかは分からなかったのですけど、水面で溺れるスキンダイバーの役を必死で演じ始めました。両手を大きく振り回し、上半身も振り回し、胸まで水面から出るように必死で演じ始めました。

こ、この溺れるのを演じるのって、かなりしんどいぞ。た、体力持たないかも。

ぜぇぜぇ言いながら演じていると高嶋さんが近づいてきます。離れた位置から声をかけて左手側に近づいてくるのはぼくと同じです。

高嶋さんが手を伸ばしてきた瞬間、ぼくは高嶋さんをひっ捕まえて、よじ登ろうとしました。

できませんでした。

高嶋さんは、球技のプッシングのように、ぼくを両手のひらでポーンと弾き返しました。ぼくはさらに何度も何度も高嶋さんをひっ捕まえようとしたのですが、その度にボーンポーンと弾き返されて高嶋さんに近づくことすらできませんでした。

大山くん、もういいよ。大山くん、ぼくに近づけなかったろう?

はい。相手を弾くことでよじ登られないようにできることはわかりました。でも、あれからどうすればいいんですか?

溺れてる人の意識がなくなって動かなくなるまで待つ。

えっ!?

意識が無くなって動かなくなったのを確認してから陸やボートに曳航する。

ぼくと小野寺くんが声を揃えます。えっ!?で、でもそれって、た、助かるんですか?

死ぬかも知れない。

えっ!?

でも死体が 2 つより 1 つの方がマシだ。それに幸運なら誰も死なないかも知れない。大山くんが習った方法でレスキューできたか?

とてもじゃないけど無理でした。で、でも、もし小野寺くんがああなったら、ぼくは小野寺くんの意識がなくなって動かなくなるまで待たないと駄目なんですか?

小野寺くんも言います。

大山さんがああなったら、ぼくも大山さんが動かなくなるまで待たないと駄目なんですか?

そうしないといけない。そうしないと 2 人は一緒に死ぬことになる。しかも助けに行った方が先に死ぬ。

ぼくたち 2 人は顔を見合わせる。

だから、君たちは 2 人で考えないといけない。そうならないように、どうすればいいのか。


レスキューのトレーニングを終えた帰りの車の中で小野寺くんが口を開きます。

大山さん、どうします、あの件。ちょっとぼくは大山さんがああなったら放置できないんですけど。

うんぼくも。どうすればいいんだろう。どうするのがいいのかわからないけど、でもまずは、ぼくはレスキューは取ろうと思う。今のままだと、もしものときに君を殺してしまうことになってしまう。そんなの耐えられない。耐えられるはずがない。

ぼくもです。まだ 1 Star の講習が終わってないけど、終わったらすぐにレスキューを取ろうと思います。

うん、お互いに、最悪の事態に直面したときに助けられないかも知れないけど、全力は尽くしたい。

ぼくもです。


彼はぼくのためにより良いダイバーになろうとしていました。ぼくも彼のためにより良いダイバーになろうと誓いました。

ぼくにはもうぼくのバディは彼以外考えられなくなっていました。小野寺くんとなら、これからも事故を遠ざけながら、ずっとダイビングを楽しみ続けることができる、そう確信したのでした。

恐らくこの瞬間、ぼくたちは本当の意味でバディになったのだと思います。


そんな真面目な話をしていた 5 秒後には、次、どこ行こっか?なんて呑気な話をしていました。

大山さん、次はもうちょっとボートやりたいっす。

だよねぇ。やっぱり君は高嶋さんのところがいいよね?

ですねぇ。ボートはまだ昨日のだけだし。

それじゃぁ大阪帰ったら、また高嶋さんに連絡とって相談しようか。ぼくもボートの経験は少ないし、白浜のボートのポイントもぜんぜん知らないから。高嶋さんに教えてもらってる君が一番適任だと思うし、頼んでいいかな。

それじゃぁ、ぼくから高嶋さんに相談してみます。

あとね、日本海の越前にね、軍艦岩っておもしろいポイントがあるのよ。最大水深が -30m 近くまであるから、気をつけないといけないんだけど。海底近くから見上げる軍艦岩がど迫力でかっこいいのよ。一緒に行きたいな。さっき高嶋さんもきみら 2 人だったら大丈夫だろ、とか言ってたからどうかな?

いいっすね。

日本海は夏がシーズンだから、それくらいの時期になるけど、計画考えてみるわ。また相談に乗ってよ。

なんて感じで大阪へと帰っていくのでした。


このときのぼくたちの関係が、その後のぼくのバディという関係の基準となりました。

マニュアルにダイバーは継続コースやインストラクターのもとでダイバーとして向上しなければならないと書かれています。ですがマニュアルにそのように書かれているからダイバーとして向上しようとするのではなく、ぼく自身のためだけでもなく、バディのためにもダイバーとして向上しなければならない、そういうダイバー像がぼくの中で生まれたのがこのときだと言えます。

それをしないのならばダイバーとしてあまりに無責任である、たとえオープンウォーターダイバーであってもあまりに自分の命とバディの命に対して無責任である、そう考えるようになりました。

ぼくにとってはこれはダイビングを続ける上でのルールでも目標でもなく、いや目標でもあるのですが、前提条件であると認識するようになったと言えます。バディの存在とバディ・システムの存在、そしてそれを遵守すること、深堀りしていくことは、全ダイバーの責務であり、ダイビングをする上での前提条件である、という認識に至ったことになります。

これ以降、ぼくはこの認識を共有できない人とは、プライベートでは一切潜れなくなります。なぜかというとこの認識を共有できない人は危険で怖いからってことになります。

そんなぼくたちでしたが、そんな幸せな時間は長くは続きませんでした。バブルと呼ばれる時期は終わりを告げようとしていましたが、IT バブルというものが相変わらずそのまま続いていました。

バブルのときも IT バブルのときも、エンジニアだったぼくたち 2 人は、家に帰れずオフィスに泊まり込みが連続して、休日も無く、文字通り 365 日連続勤務状態で、あまりに忙しすぎたのです。過剰な好景気がぼくたち 2 人を遠ざけ、海から遠ざけていました。バブルがよかった?どこが?というのが正直な気持ちです。

ぼくはぼくが最も信頼するバディである小野寺くんとダイビングを楽しみ続けたかった。でも時代がそれを許してくれませんでした。

注: イラスト中のポケットマスクの表現について

スライド画像のレスキュー曳航シーンでポケットマスクを使っていることがわかると思います。

今では使うことがレスキュー曳航の大前提となっていますが、当時はドゥ・セイ・ドゥによる曳航が常識とされていて、ポケットマスクの存在はダイビング・インストラクターにはまったく知られていませんでした。

ぼくと小野寺くんはこのときに高嶋さんに勧められて、使い方をトレーニングしてもらい、それ以降ダイビングのときは常備するようになりました。

それ以降、いろんなインストラクターの目の前で BCD のポケットにポケットマスクを放り込んでいるのを見咎められて「なんだ、それは?」と毎回のように訊ねられることになります。

そのたびにポケットマスクの目的、効果、使い方を説明していました。

指導団体を問わず多くのインストラクターに、そんな道具に頼ってどうする!?ドゥ・セイ・ドゥこそ取るべきレスキュー方法だろう!!それでもダイバーか!!と何度なじられたことでしょうか。

でも時代は正しく変わりました。

今ではダイバーならポケットマスクは常に携帯して、レスキューの際は使うことができなければなりません。コース基準やインストラクターマニュアルにそのように書かれています。ポケットマスクの使用は MUST になっています。

ポケットマスクの利用が前提となることで、要救助者の口や鼻を波から守り、曳航中に溺水させることなく曳航することができるようになりました。

ダイビングの常識が正しく矯正された一例と言えます。

このようなぼくのターニングポイントとなった小野寺くんとの話は今回だけですが、次回はぼくと小野寺くんがどんな風にバディダイビングをしていたのか、ログブックから引用したりしてみたいと思います。明日以降更新しますので、少々お待ち下さい。

ぼくと小野寺くんはこの日のレスキュートレーニングにより、如何に人が水中で無力であるか、脆弱であるか、簡単に死んでしまう存在であるかをぼくたち自身の身体でもって知ったのでした。

だからぼくも小野寺くんも、これまでとは変わらざるを得ませんでした。

これまでのエントリーではバディの意味、バディ・システムの意味が変わったと述べてきましたが、ぼくたちに起きたのはもっと根本的な意味の変化です。ぼくらは以下のことを自らの身体で知ってしまったのでした。

それまでただの文字として理解していたことが、ぼくたちの肉体に実際に起きる事実として、眼前に突きつけられたのでした。

ぼくたちの理解をたった一言でいうとこういうことになります。

ダイバーは海で簡単に死ぬ存在である。

だからぼくたち 2 人はそれまでと変わらざるを得ませんでした。パラダイムシフトは自然と起こりました。起こるのは必然でした。意図して起こしたのではなく、自然の法則として起きたのでした。

その変化を無視したり拒否することは、それはすなわちぼくたちの海での死を意味していました。それが厳然とした世界の仕組みであることと、ぼくたちが人間という陸棲動物である以上それを拒否することはできない、この日それをぼくたちは自らの全身で理解したのでした。

水中で簡単に死ぬ存在はもちろんぼくだけではありませんでした。ぼくのバディである小野寺くんも全く一緒であり、ぼくとダイビングに出かけた小野寺くんは、もしかすると夕方には変わり果てた姿で帰宅する可能性がある、ということが容易に理解できたのでした。

ぼくは土色になって変わり果てた小野寺くんの姿と、そのまわりで悲しむ小野寺くんの家族をリアルに想像して恐怖に全身が震えました。そんな場面に耐えられるはずがありません。

だからぼくたちにはレベルアップしないという選択肢はあり得ませんでした。

もちろん恐怖心だけでレベルアップしようとしていたわけではありません。ですが、根底にあるベースとしてバディの死に対する恐怖があるということは否めませんでしたし、今でもそうです。

ぼくと小野寺くんは高嶋さんの 1 Star コースのレスキュートレーニングで理解したことはたった1つでした。

どれだけ頑張っても溺水してしまったバディを助けることはできない。

学んだのはそんなシンプルなことでした。ぼくと小野寺くんはその後、それぞれレスキューコースを受講します。受講しますがレスキューコースでどれだけ頑張っても溺水してしまったバディを助けることはできない、そのことはなにも変わらない、そのような確信をより強固にしただけでした。

事故で死なないためには予防する以外に方法がない。

そう考えるしかありませんでした。

そしてぼくになにかあった時にぼくを助けることができるのはバディである小野寺くんしかいない、またバディの小野寺くんになにかあったときに小野寺くんを助けることができるのはぼくしかいない、そのリアルな事実に気がついたのでした。

たとえインストラクターやスタッフが一緒に潜っていたとしても、彼らとの物理的距離は遠すぎる。彼らは間違いなく間に合わない。でもぼくのそばにはバディの小野寺くんがいる。どちらがいざという時に頼りになるのかは明らかでした。ですからぼくも小野寺くんの頼りになるバディに当然ならなければならない、そのことも明白でした。

そうしなければ、いつかぼくが変わり果てた姿で自宅に帰ることになる。あるいは小野寺くんが変わり果てた姿で自宅に帰ることになる。残された側はそれに耐えることを強いられる。でも耐えられるはずがない。だからぼくたちは変わらざるを得なかった。

ぼくたちはもっと深い知識とスキル、機材、思考パターン、自己観察能力などを必要としていました。なにもかもがぼくたちには足りないことがこの日了解できたのでした。

その後、小野寺くんと一緒に潜ることができなくなり、ぼく自身は小野寺くんと別れて1人で歩いていくことになります。ですがこのときに得たダイバーを取り巻くリアルは頭のてっぺんから足の指先に至るまで、ぼくの全身からから片時も離れなくなります。

ぼくのダイバーとしての基礎はこの白浜でのレスキュートレーニングが固めてしまったことになります。ぼくが 26 歳の時でした。

1990 年 3 月 21 日に起きたことを書いてきましたが、ここまではっきりと言語化したことはありませんでした。ここまで言語化したのは、やはり冒頭で紹介した須賀さんのブログ記事がきっかけだと言えます。

須賀さんのブログを始めから読んでいると昔のダイバーがどのようなトレーニングをしてきたかということがわかります。

  1. 毎日の 6000m の泳ぎ込み
  2. 適正ウェイト状態で首に 5kg のウエイトベルトをかけ、立泳ぎ 10 分 (後に 8kg 40 分にエスカレートする)
  3. 上記立泳ぎをしているダイバーを沈める
  4. 上記立泳ぎをしているダイバーが浮かんできたら水を頭からかける
  5. 適正ウェイト状態で首に 8kg のウエイトベルトをかけヘッドアップフリッパー
  6. etc

1 はダイバーである以上泳げなければ話にならないという当たり前の事実が出発点になります。

2 はバディが水中、あるいは水面で意識不明になった時に、自分自身と意識不明になっているバディの頭部を常に水面に維持するだけの泳力を維持するための基礎トレーニングです。

3 はぼくがまさに白浜で模擬体験したように、溺れながらパニック状態になっているダイバーによじ登られてしまったときを想定した自分自身がパニックに陥らないための基礎訓練です。

4 は意識を失ったバディと自分の頭部を水面上になるようにしている時に、波を被っても泳ぎ続けるための基礎練習です。

5 は意識を失ったバディの頭部を常に水面の上に維持しなら曳航するための基礎トレーニングです。

つまりぼくが須賀さんのブログを読むまで、意味がなく危険なだけの単なるしごきに過ぎないと思っていた訓練内容は実は意味があったのでした。

ぼくは白浜円月島でレスキューの不可能性に気づいてしまいましたが、レジェンドたちはそれでもなお助けることができるだけの体力と泳力を持つものがダイバーであると、生と死のギリギリを攻める訓練を繰り返していたのでした。

3 月の円月島で事故になってからのレスキューの不可能性を確信し、もうそれをわかっていなかった頃に後戻りできなくなってしまったぼくは、ぼくは今須賀さんのブログを読み、当時の潜水訓練の意味を理解することで、昔のダイビングシーンを真剣につくりあげてきた、人が死なないダイビングシーンをつくりあげることに心血を注いできた、先人、潜人であるレジェンドたちの血が、ぼくの中にも僅かですが流れていることを知ったのでした。