The road Orz passed by 2026 年 07 月
07 月 26 日 ( 日 )
Dive #183 尊敬する 4 人のインストラクター
でも自分はインストラクターとはいい出会いしか経験しなかったな。指導団体なんてほんと関係ない。一番影響を受けたのは師匠と師匠の下で働いてた西浦さん。そしてアシスタントインストラクターだったぼくがダイブマスターを目指してたときに熱心に指導してくれてたジュンちゃん。あ、高橋さんも入れないと。高橋さんはぼくのダイバーとしての人生を変えたし。
この 4 人がぼくの筆頭尊敬インストラクターでした。
師匠は別格でしたけど。ぼくは冗談抜きで師匠のようになりたかったから。
ジュンちゃんは単なるアシスタントインストラクターだった 30 代のおっさんを、自分が勤務する店の店長クラスに育てないといけなかったから、すんごい重圧だったろうな。
さらには自分より遥かに年上のおっさんに、最後には泣かれながら、もうダイブマスターコースをやめたいとか言われるし。災害だよなぁ。申し訳なかったよなぁ。
でもジュンちゃんのおかげでダイバーとしてはかなり成長できたと思ってるので、本当に心から感謝してます。
ジュンちゃんの言語化力はほんとにすごかった。ベテランインストラクターが抽象的な指摘しかできないなかで、あれだけわかりやすく言語化してくれたのはジュンちゃんだけだった。
だから将来インストラクターになったらジュンちゃんのあの言語化能力を取り入れようと思ってた。ほんとよ?今でも尊敬してるし。
高橋さんはぼくのダイバーとしての人生を変えてしまった人。高橋さんのレスキュートレーニングがなかったら、おそらくぼくはいろいろ見た後にプロを目指そうとは思わず、ずっと何も考えずに能天気にダイビングを続けていたかも知れない。
ぼくが NAUI ITC に落ちたときに「あほやなぁ、ぼくに言えばもっと安あがりにガンガン鍛えて、ぼくが認定までするのに」なんてことも言われたけど、その時はぼくにはもう師匠がいたので断ったのでした。
BSAC インストラクターの西浦さんは師匠の次に影響を受けた人。
ファンダイバーだったころの気持ちを忘れたらあかんでぇ、っていつも言ってた。
自分はどうも固い人間で猪突猛進型だったので、よくファンダイバーだった頃のことを忘れたらあかんってずっと言われていた。お客さんはこうやって楽しませるんやでぇ、って、それを体現してる人だった。
師匠はやっぱり別格かな。尊敬するだけでなく、目標ってだけでなく、ずっと公私ともにぼくを支え続けてくれた人。今でも支えられてる。何も返せてないのが心苦しい。
師匠は一部の若いインストラクターに厳しすぎるって嫌われてたけど、師匠は優しいよ?本当にとことん支えてくれる人だよ。たしかに怒ったときは怖いけど、でも意味なく怒らないから。あれって師匠なりのハッパのかけかただし。
あの人ほど自分が雇った若い人を想ってくれる人はいないよ。若い子には見えなかったみたいだけど。ぼくなんか未だに心配されてる。いい人だよ。
師匠のあの怒鳴り声の中に「がんばれ、俺が支えるから頑張れ」がいっぱい詰まってたのに、若い人にはそれが聞こえなかったんだなぁ……あれだけ愛情をもって接してくれる人なんてそうそういないのに……
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Dive #184 ゲストの命を背負うこと そしてぼく自身の崩壊
Dive #182 安全への願いの続き。
命をあずかる、命に対して責任を持つという言葉を出した。これはよくダイビングの現場で口にされたり、文章に書かれたりする言葉だ。
ぼくの場合は「背負う」って表現になってる。言ってることは実はまったく一緒。言葉や表現が違うだけ。
本当はぼくは背負いたくなんてないけれど、背負わないのは自分自身に対する裏切りになるし、ぼくにとっては人生の敗北だし、それは受け入れられないから背負わざるを得なくなる。
なにより背負わないと単純に目の前で人が死ぬ。ぼくは人に死なれたくなかったから背負わざるを得なかった。
ただ背負わざるを得ないものがあまりに重すぎて、しかも師匠の姿をロストしてからたった1人でそれを背負わざるを得なければならない状況がずっと続いて、そして 1999 年の住崎でぼくは崩壊した。
やっぱり志を共にできる同志は身近にそばにいないとだめなんだろう。
ぼくにとっては師匠が志を共にできる人だった。それをやっている人だった。いや、おれは金にしか興味ねぇよなんてうそぶく人だけれど、実際にはぼくが理想とすることをやっている数少ない人だった。
だから師匠の姿をロストしたときに、もっと真剣に、もっと必死に師匠を探せばよかった。少なくとも師匠の友達は城東区で店をやっていたし、オレンジハウスオーナーも師匠の友達だから、お二人のどちらかに聞けばわかるはずだった。
しかも当時お二人共ぼくのことは、どんなやつかまで知ってたわけだし。
それを当時思い至れなかったのが、たぶんぼくの人生の最大の敗因。
そうだ「背負う」の話だった。
ぼくはもともとシステムエンジニアでもあったので「仕組みを考えて改善、実装する」ことを仕事にしていた。
よくある誤解なのだけれどシステムエンジニアはコンピュータ関係の仕事ではない。いやコンピュータも利用するけれど、本来は顧客企業の仕組みを再設計し最適化するのが本来の仕事だ。場合によっては顧客の新しい商品開発、事業開発にまでなってしまうこともある。
それと同じことをダイビングの世界でもやろうと考えた。というのはダイビングの世界はぼくの目には 1990 年頃からすでに「崩壊しそう」と映っていたから。
ダイビングの世界でダイバーとは何かという定義は非常にシンプルだ。
ダイバーとはバディとともにダイビングを計画し、事故に合わないようにお互いをモニターし、何事もなく無事に陸に戻る、それがダイバーだ。この定義は 40 年以上前から現在でもなにも変わっていない。
それが壊れ始めたのがぼくには 1990 年あたりだと感じている。わざわざ事故になるような無理をする、無茶をする、基本を無視する、学んだことを無視する、そんなダイバー大量発生し始めたのが 1990 年代初め頃と認識している。
ぼくの世代を育てたインストラクターたちからは 1980 年頃からその予兆はあった、なんて話も聞いている。
ぼくもその壊れかけている世界を手直ししたかった。
つまりぼくがやりたかったのは壊れかけたダイビングの生態系システムのバグを治したかったに過ぎない。デバッグレベルの作業でなんとかなるだろうと見積もった。デバッグならぼくにも不可能ではないだろうと考えた。
とんでもない話だった。
実際にはシステムが想定していた入力の許容量を超える最適化が一切されていないデータ、つまりダイバー予備軍が津波のように押し寄せていた。眼の前にはそれを処理できない処理できない巨大なシステムが横たわっていた。
すでに巨大になりつつあったシステムを再設計してリプレースする必要があった。デバッグどころではない。完全なシステムのリプレースが必要だった。
1人でどうにかできるものではなかった。
ぼくはあえなく玉砕した。
ぼくは何もできなかった。
そしてぼくは壊れた。
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