The road Orz passed by 2026 年 07 月
07 月 25 日 ( 土 )
Dive #181 店のシャッターを下ろしてから 〜ダイバーはどこからなら安心できるか〜
昔々のお話です。まだ 1990 年代の終わり頃。
ある日、仕事を終えて店のシャッターを閉めた後に、師匠とぼくたち弟子とで雑談をしていたときがあって、たまたま話題が、どれくらいのダイバーなら安心できるか?という話題になったことがあります。
そのときぼくが言ったのが、せめてレスキューまで取ってないと安心できないと言ったのですが、師匠はもっと厳しかった。アシスタントインストラクターまで持ってないと不安だって。
なお当時の NAUI ではアシスタントインストラクターがプロの入り口とされていました。だから師匠はプロでないと安心できないと言っていたことになります。
その後、それはなんでか、って話をみんなでしていたのですけれど、結果的にその会話の後で、師匠を始め全員が上方修正することになってしまいました。
ぼくはマスタースクーバダイバーでないとやっぱり恐い、師匠はインストラクターでも恐い、って上方修正されることに。
説明しておくとマスタースクーバダイバーは NAUI ではアマチュアの最高ランクとされています。コースの認定基準からすれば、講習を受ければ誰でもなれるとも言えるのですが、師匠の店ではちょっと毛並みが違っていて、知識もですが、プールにせよ海にせよ、潜水技術に関してはアシスタントインストラクターと同等を求める、ということになっていました。
なので自分がいかに基礎をおろそかにしてきたか、また自分のダイバーとしての限界を最初に思い知らされるのが、師匠のショップではアマチュア最高ランクのマスター・スクーバ・ダイバーからになっていました。
もうひとつ説明しておきます。師匠の言うインストラクターでも恐い、という言葉の意味は複数あります。
一つはインストラクターの中にもやはり目に見えないランクはあって、経験を積んだインストラクターとそうでないインストラクターの間には歴然とした差がどうしてもある、ということになります。
もう一つは、仕事の経験を積めば積むほど、ゲストのヒヤリハットやトラブルに直面することもあります。そういったときにぼくたちは当事者を未熟だったとは思いませんし、それどころか、条件が揃えばぼくたちもそうなっていたかもしれないと考えます。
これは山岳救助をやっている隊員の人たちがヘリを待っているときに、要救助者やご遺体を見ながら、これは自分の将来の姿かもしれない、と思うのと似ているのかもしれません。
インストラクター、ダイブマスター、アシスタントインストラクターといった弟子たちの尊敬を集める師匠ですら、自分を顧みてこれは将来の自分の姿かもしれない、そのように言う。それだけの重みのあることを言う人だったのですね。
師匠もフォーメーションシステムを取りれて、ゲストの安全を図りながら成長も促し、フォーメーションシステムからの卒業を促すような店作りを進めていて、しかもそれがうまく機能しているようにしか、ぼくには見えなかったのです。
ですがある日師匠がやっぱり閉店後にポツリと言います。
「おれ、間違ってんのかな?」
どういうことかと尋ねると
「ゲストのみんな、おれたちと潜ってたら安全だと思ってる。インストラクターやスタッフと一緒だったら安全だなんてはずはない。ダイビングってそんなものじゃないし、安全に潜るっていうのは自分でなんとかするしかない。それははっきりしてる。みんな俺達がいるから安全、そう思ってるようにしか見えないから、おれは失敗してるとしか思えない」
そんな師匠に対して
「常連さんは、ぼくたちのツアーだけじゃなくて、セルフでもガンガン潜りにいっているし、確かな安全管理も自分たちで行っています。だから少なくとも失敗とは言えないし、間違ってはいないんじゃないですか?」
という意味の内容を具申申し上げたのですが、
「そうかなぁ」
と師匠は中空を見つめるばかり。でもそんな人なので尊敬を集めるわけなんですけれど。
ぼくがまだ 30 かそこらの頃の話でした。
- Category :
- #Records of Orz's Road
- #ダイビング
- #スクーバダイビング
- #ダイバーとは
- #ダイビングとは
- #成長とは
- #バックヤードのお話
Dive #182 安全への願い
浜松の我妻さんの threads への投稿を読んで、我妻さんの論点に直接関係することとではない反応で本当に申し訳ないのですけれど、でも後半にとても大事なことが書かれていることもあり、ぼくにとっては 1992 年の大瀬崎からのテーマなので、引用させてください。そして書かせてください。
ショップやガイドが断るのは、意悪でも排除でもなく「安全を担保できないから」。
断られると「自分は大丈夫!」と証明しようとしたり、「文句は言わないから潜らせて」と言われたりする。でも、本当に何かが起きた時、責任や傷を負うのは現場なんです。
書面で免責を出せば済む話じゃない。
「自分たちだけでやる」と強行する前に、目の前のリスクと周囲への負担まで含めて客観的に判断できること。それこそが、海に入る人間として本当の意味で「自分の立場をわきまえる」ということだと思う。
今日、若手ガイドと話していてハッとした。
「命を預かる意識なんてこれっぽっちもないです。ただ目の前で人が亡くなるネガティブな場面を見たくない。だから助けるだけです」
これが現場の正解だと思う。
「命を預かる」なんて綺麗事じゃない。「客が死んだら自分の心が壊れる」「一生トラウマになる」という切実な本音。
だから「何があっても自己責任で文句は言わないから潜らせて」は通用しない。
あなたの命の事故は、現場の人間の一生を破壊するから。
引くべき時に引けるのが、本当の「わきまえ」だと思う。
「ただ目の前で人が亡くなるネガティブな場面を見たくない」
なんですよね。
元々のぼくの願いはシンプルなんです。
今でもそう。
変わっていない。
どうか死なないで。
目の前で死なないで。
それだけなんです。
どうか無事に家に帰って。
待ってる人のところに無事で帰って。
それだけなんです。
まだ若かったあの当時、まだ OW I に過ぎなかった当時、ぼくがインストラクターや開業を目指したのは、ただそれだけだったんです。
ただ、これは心得ておく必要があるとは思うのですけれど、命をあずかる、命に対して責任を持つ、これらの言葉は綺麗事なんかではなくて「死なないで」という切実な願いを違う言葉で言い換えているだけに過ぎません。
同じ願いを違う言葉で言っているだけです。
ぼくはそのことを知っています。
そんな切実な想いと、楽しみましょうね、が同居する、同居することができるのがダイビングの面白いところだなとも思います。
- Category :
- #Records of Orz's Road
- #ダイビング
- #スクーバダイビング
- #ダイバーと安全
- #ぼくの願い