The road Orz passed by 2026 年 01 月

01 月 30 日 ( 金 )

Dive #123 二人のこと

Gemini により生成
伊納くん (NAUI インストラクター)、嘉藤ちゃん (NAUI ダイブマスター) 夫婦

伊納くん (仮名) の名前が NAUI Japan のインストラクター名簿から消えている。NAUI Japan のホームページでインストラクター No. と氏名の頭文字のイニシャルを入力するとでてくるようになっているのだけれど、伊納くんの名前がヒットしない。

このことは伊納くんは現在 NAUI のインストラクターではないことを意味している。

二人が Diving Spot Triton のスタッフを卒業して大阪市内で開業したことは師匠から聞いていた。でもその後の二人のことはまったく知らない。

他の団体に移ったというのなら気にならない。だけれど、もし店を畳んで、インストラクターであることもやめていて、妻の嘉藤ちゃん (仮名) 共々ダイビング自体をやめているという可能性をどうしても考えてしまう。

ダイビングを生活の基盤にすることができずに店を畳んでしまって、さらにライフステージが変わると、たとえインストラクターやダイブマスターであっても、一般のファンダイバーと同じく、ダイビングを続けることは難しくなってしまう。

この夫婦は 30 になったばかりのぼくが、30 にもなって本当にインストラクターを目指すべきなのかどうか悩んでいたときに、ぼくの背中をドンッと前に押した張本人たちでもある。

なのでもし二人がダイビングをやめていたら、なかなかに複雑な気分になってしまうのだ。

とはいえ二人には二人の人生があるのだし、そもそもぼくはその後、二人がどのような人生を歩んでいるのかも知らない。だからとやかく言える立場にない。二人が幸せに暮らしているのならそれで充分な気もする。

ぼくは 21 年ぶりに海に戻ることにしたけれど、そこに二人の姿がないというのは、でもやっぱり寂しい。ぼくの我侭だとはわかっているけれど、また二人に海で逢いたい。

26 日の手術のこと

手術のときのことを忘れないうちにメモしておこうと思う。

手術当日、看護師さんに手術は午後からで時間は手術室が空きしだいと聞いていて、それまで病室で待つように言われていたので、昼食を終えてからずっとベッドに座って呼ばれるのを待っていた。

13 時半になっても呼ばれない。あまりに暇すぎてベッドに横になった途端に寝てしまった。ふと目を醒すと 14 時になろうとしていた。今日はもうないのだろうか?そう思った頃、病棟の看護師さんがやっと迎えにやってきた。手術室が朝から立て込んでいたらしい。

病棟の看護師さんに付き添われて 5 階の病室からエレベーターを使って 3 階の手術室に向かう。全身麻酔による手術というものがどのようなものなのか経験がまったくないので、現実感を伴わずになぜか緊張感のかけらもない。


手術室のドアのすぐ前が麻酔科の診察室になっている。入院前に麻酔科の先生に手術での麻酔の説明を受け、全身麻酔への同意書にサインした小部屋になる。

説明を受けた日に麻酔科の先生にもいろいろ質問もしている。全身麻酔の手順、筋弛緩剤の投与の有無、呼吸管理を含む全身管理がどのようにおこなわれるのか、気道挿管を抜くタイミング、そのタイミングで肺水腫が起きた場合の処置、アナフィラキシーが起きた場合の処置、その他もろもろわからないことや、思いついた疑問は全て尋ねて回答をもらった。

全身麻酔が嫌とか不安とかではない。何も知らずに全身麻酔を受けて、手術を受けるのが単に嫌だったからという理由による。

全身麻酔が必要であることに変わりはないけれど、仮に麻酔による身体反応でトラブルがあって死亡するようなことがあっても、納得しておきたいからという理由がある。納得してから同意書にサインをしたかった。

とはいえ納得できてなくても、同意書にサインをしないことには手術は受けることができないので、仕方ないと思いながらもサインはしていたと思うけれど。


その麻酔科の小さなドアの前を通りすぎ、手術室付きの看護師さんの案内で手術室のドアをくぐる。

本人確認を済ませると複数ある手術室の 1 室に通される。映像でしか見たことがない細いベッドとたくさんのライトがついた照明具がある。部屋のなかの様子はあまり観察する時間はなかった。

手術台の上に仰向けに横になるように指示される。若干腰が痛い気がするが指示通りに仰向けに横になる。

それからは手術室付きのスタッフにあっという間に囲まれて、手術台にベルトで固定されて各種モニターの端子を取り付けられて、点滴のラインも取られる。まるで F1 のピットのスタッフ並みの手早さだ。

は、早い、すごいスピードだ、と思ったときには、もう意識を失なっていたのだと思う。

眠っていたという記憶はまったくない。気がつくと「大山さん起きてください。目を開けてください」などと複数のスタッフに声を掛けられている。その声で手術が終わっていることがわかった。

起きろと言われ、目を開けろと言われ、手を動かしてみろと言われ、そのようにしようと思うのだけれど、指もピクリとも動かないし、目も開いてくれない。声は聞こえているのだけれど体の一切が動いてくれない。

このまま体が動かなかったらぼくは何をされるのだろうと思ったけれど、しばらくして指先が動く感覚があった。それからすぐに目を開くことができた。死んではいなかった。

声が出た。「あれからどれくらい時間が経っています?」最初の言葉として適切なのかはわからないけれど、なぜか知りたかった。「1 時間ほどです」とのこと。1 時間も眠っていた感覚がまったくないので不思議だった。

ぼくはすでに病棟のベッドに移されていた。自分で移動していないのでスタッフがぼくを手術台から手術室に持ち込まれた病棟のベッドに移したようだ。病棟の看護師さんが二人がかりでベッドを 3 階の手術室から 5 階の病室までころがしていく。

手術室の天井、3 階フロアの天井、エレベーターの天井、5 階フロアの天井、ぼくの病室の天井と天井風景が視界を流れていく。

病室に戻るとしばらくのあいだは安静にしておくこと、寝返りはしてもよいこと、など様々な説明を受ける。

酸素吸入用のオープン型フェースマスクを顔につけられ、胸部には心拍や呼吸のバイタルモニター用のコード、手の甲には点滴のためのカテーテルが挿入され、尿道にも排尿のためのカテーテルが挿入されている。

管だらけとはこのことか、とも思うが、実は管だらけになるのはこれが 2 度目になることを思いだす。1 度目は大阪大学医学部付属病院の高度救急救命センターの ICU に入院していたときになる。

そんなことを思い出しながら、起きていても仕方がないので、看護師さんが採血にくるという 18 時まで、そのまま眠る。

まだ時間が 16 時で窓から見える空は曇っていたけれども、まだ明るかった。窓から見える雲は真冬の雲で、外は寒いんだろうなと思った。