老害という言葉がある。どうも最近ぼくがその言葉を投げ付けられたようだ。昔話をやたらとしているせいかもしれない。
でもぼくは昔話だけでなく、今も昔も関係なく存在するダイビングの世界の持つ構造的欠陥の話をする。
構造的欠陥の話なので今も昔も関係ない。だけれど、昔はよかった、と話していると勘違いされてしまうらしい。
はっきりとぼくの考えを述べてしまうのだけれど、日本のダイビングの世界 (業界ではなく世界だ) は今も昔も構造的欠陥を抱えたままだ。欠陥の形が変ったにすぎない、そう思う。
ぼくは安全工学の視点でダイビングの世界を見ているように思う。安全工学の視点でみると、ダイビングの世界は今も昔も欠陥だらけのシステムのままだ。
ヒューマンファクターを無視した安全論、装置類の故障率を考えない安全論、予期不能状況を無視した安全論、そんなものばかりが跋扈している。ときにはわけのわからない実効性を伴わない精神論まで。
それでいいのかというと、ぼくにはいいとは思えないけれど、世の中的にはそれでいいらしい。
こういうことを書くので老害なんて言われるんだろう。誰もが不都合な現実から目を逸らせたいのかもしれない。
無視するのに手っ取り早い方法はレッテルを貼ってしまうことだ。老害とか馬鹿とか机上の空論とかね。そうすればやっかいなことを考えなくてすむし、見なかったことにできる。
見なかったことにすることで、何が起きるのか。ぼくは慄然とするのだけれど、世の多くの人たちは平気なように見える。それがいいのか、悪いのかはぼくにはわからないけれど、ぼくは臆病者なので同じ立ち位置にはとても立てないなとは思う。
孤立したいとは露ほども思わない。でも孤立するのもわかっている。ぼくが孤立しないのは今も昔も無理筋なんだろう。
退院しました。おさわがせしました。
15 年間使ってきたサイト名を変えました。