下の YouTube 動画の漫画家の信濃川日出雄さんの KOYABAN プロジェクトの楽曲へのコメンタリーをなにげなく聴いていた。今信濃川さんは山と食欲と私というマンガを新潮社のくらげバンチに連載されている。
ぼくは白馬岳の白馬山荘で 2 シーズンアルバイトをしたこともあるくらい、もともと山好きでもあるので、この作品は連載の最初から読んでいたりする。
阪神・淡路大震災でなにもかもを失うまでは、でかい 2 つの本棚いっぱいにダイビングの専門書と登山の専門書、雑誌類がパンパンに並んでいた。
それで動画が引用した時間に差し掛かったところで、ヒヤリハットの当事者になったことの情けなさや申し訳けなさって歌の内容に差し掛かったところで、やはり反応してしまった。
その頭に浮かんだ独り言をを、そのまま X にポストしてしまったのだけれど、以降はその転載になる。
また、ぼくに致命的な精神的ダメージを与えた 1999 年 3 月 21 日 (日) の住崎でのゲスト置き去り事件の話になる。何度もこの話題を出して申し訳けないのだけれど、これはぼくにとって死ぬまで格闘し続けなければならない事柄なので許して欲しい。
以下は X からの加筆訂正となる。
そうなんだよなぁ。自分がヒヤリハットの当事者になったときの申し訳け無さって半端じゃないよな。ぼくの場合は海だったけど。しかもよりにもよってダイブマスター候補生のとき。
あのときはまじで泣きながらあのまま浮上できずに死んでしまっていた方がよかったって本気で思ったもんなぁ。いや死んだらもっと迷惑をかけるからあかんのだけど。誰がおれの死体をどんな気持ちで回収すんのよ、って思ったらやっぱり海で死ぬわけにはいかんよなって思うし。
まじであのときの俺をボコボコに説教したい。今でも説教したい。
あのときダイブマスターコースじゃなくて、ぼく自身のファンダイブだったら、あんなことにはならんかったやろな。ファンダイバーなら絶対にならない、あんな変な周囲から見てパニックだと一切わからない静かなパニック状態にはなってなかっただろうし。ダイブマスターやインストラクターになろうとしていたからこそ起きたパニックだったとやはり思う。
しかもあの完全思考停止がパニックだったと結論づけることができたのが、26 年以上経ったつい先日のことだし。
他人がダイバーの行動や身体的な状態を外部から観察して一切わからないパニック、そんなものが存在するってことを、ぼく自身でもって証明してしまった。こんなパニックってマニュアルにも潜水医学の専門書にも、潜水のどんな専門書にも載ってない。あれがパニックだとわかるには、自分でパニックだと気がつく以外に方法がなかった。それに気がつくのに 26 年もかかってしまった。
外からみて普通に落ち着いて潜っていて、呼吸が乱れることもなく、普通にゲストのエアチェックやその他のモニタリングもしていて、ガイドもやってる。でも頭の中は真っ白だった。そのとき自分がどうすればいいのか、まったくわからなかった。わからないのがおかしいのだけれど、そのとき自分はどうしたらいいのか本当にわからなかった。それくらい混乱していた。
思考が完全に混乱して停止して、何をどうしたらいいのかわかんなくなるって経験はあのときが初めてだった。
その後のリカバリーはむっちゃ頭も回転したし身体も動いたけど、緊急スイミングアセントで浮上するまでは、本当に思考が停止してた。
実際にエア切れを起こして緊急スイミングアセントに集中することで、それまで完全に停止していた思考能力が生き返った。言い換えればエア切れを起こして本当の緊急事態になるまで、混乱したまま脳が完全に機能を停止していた。
以前親切な誰かが水中でぼくをぶん殴ってくれていたら、我に返って撮るべき行動を普通にとっていたと思うと書いた。実際に当時ぼくをぶん殴ったのは、実際のエア切れだった。実際のエア切れがぼくをぶん殴って我に返らせたと言える。
余裕が充分すぎるほどあるのに、思考が混乱して完全停止すると、本当になんもできなくなるって経験は、あのときの一度きりだけだった。もちろん一度だけだったのは、それ以降ゲストを水中に置いてきぼりにしたということのショックから、ほぼ完全に潜れなくなったからなんだけど。
デブリーフィングのメモ見てたら、指導インストラクターのジュンちゃんにコース取りがどうのこうの、ということしか書かれてなくて、指導インストラクターもぼくの異変にまったく気がついてないのがわかる。でもあれは外からじゃ (内からもだけど) そりゃわからんよなぁ、って思う。
あれはパニック状態だったってわかるのに 26 年かかってんだもん。どんな本にも載ってないし、どんなインストラクターも知らないし。オーナーレベルの人でも知らんのやで。
ゲストや他のメンバーの安全を考えたら残圧 40 切ってた時点で即浮上しか選択肢はないんだけど、そんな当たり前のことが頭に出でこなかったもんなぁ。
この誰にもわからないパニックが怖いところは、他人を巻き添えにするってところだよな。このときはほんとに他の人が危ない状態にはならなくてよかったけど。
もしあのとき、指導インストラクターが師匠だったら、すすっと近寄ってきて「お前、なんかおかしいけど、大丈夫か?」ってスレートか何かで訊いてきて、ぼくが泣きそうな顔で「大丈夫じゃないです。なんかわけがわかんないんです」って応えてゲージ見せたら「アホかお前は!!」ってレギュ咥えたまま怒鳴って「全員上げろ!!」ってやっぱり水中で怒鳴りまくって、ぼくもそれでふと我に返って全員で浮上してだだろうなって思う。
帰るまで怒鳴り続けられただろうけど、実際のあのときみたいにショックは受けずに、あれがなんだったのかそのときに振り返って、あそこまで精神的にダメージを受けることはなかったろうな、とは思う。
理由はあれども責任を放棄したって事実は取り返せないし、ダメージがでかすぎた。あれで 21 年も潜れなくなったもんな。仕事で潜ることがあり得ないって年齢になるまで潜れなかったもんな。
このことを振り返るのって、傷口を自分で開いて指を突っ込んでグリグリとねじり回す行為ではある。だけどこれだけは、どうしてもかたをつけないと、死んでも死にきれないことなので、聞かされる側は大変なのはわかってるけど、ごめんなさい、許してください。
26 年目にしてやっと、あれはパニックだったと理解できて、かたをつける準備ができたんです。