バーr……blog のようなもの 2025 年 10 月

10 月 14 日 ( 火 )

Dive #61: 2017 年 4 月の Alert Diver に掲載された田原氏の寄稿を読んで

以下のテキストは筆者が X に投稿した内容の転載です。X で読んだ人は改めて読む必要はありません。




読み始めようとしている。きっとためになる何かが書かれてると思って。寄稿されている田原氏はもともとダイビングワールド誌の若い編集者兼ライターで、タハラというライター名 (?) で雑誌の企画でヘドロだらけの御台場に潜って海底のヘドロに頭から突っ込んだり、やはり雑誌の企画で NAUI ITC を受けて一発合格したという経歴の持ち主でもある。

氏は NAUI ITC 合格後にやたらと厳しいことを紙面に書くようになってしまって、編集部から注意を受けたという経歴もぼくは知ってる。雑誌にお詫びが掲載されて、彼自身のお詫びのコメントも載った。ぼくはそのときまだ OW I ダイバーにすぎなかったけれど、でもぼくには彼が間違っているとは欠片も思えなかった。

氏が何を感じてダイビングワールド誌を去って、さらには NAUI からも去って、どういうきっかけでテクニカルダイビング (以下テックと略す) の世界に進んだのかは実際には知らないけれど、あまり不自然さは感じなかった。

ぼくはテックにはそのあまりに高いリスクから興味を持てなくて、テックには進まなかったけれど、テックの人たちのノウハウは、フリーダイバーの持つノウハウと同様に、レジャーダイビングの世界も、より安全に、そしてより楽しくしてくれると信じてうたがわない。




短い記事なのでたった今読み終えた。

けっきょくぼくの師匠や、師匠の多くの弟子たち (当然ぼくを含む) が行き着いた結論 (仮の結論というのは重々承知だけど) はこれになる。

ぼくたちはレジャーダイビングの世界で生きていて、テックほどシビアではないけれど、それでもやっぱりスキルの向上、機材のより完全に近いコントロール、自分自身のより完全に近いコントロール、そしてまともに機能するバディシステム、これらが非常に重要で、今のコース基準では達成できない。あるいはコース基準を正しく守らないと達成できない。

今の日本のダイビングシーンは、自分の安全について一切何も考えないダイバーを量産してるだけになってる。氏の寄稿文を読むと、やっぱりこのことに危機感を感じているダイバーは絶滅したわけじゃなかったと信じることができる。

彼は NAUI ITC 合格後に編集部に帰ってきて、1 発目の記事で「ドーム型のでかいハウジングをかかえたまま転倒しているダイバーが多いが、一言いいたい。カメラを持つ前にやらなければならないことがあるだろう!?」と誌面に書いちゃった。

あの一言が雑誌としてはまずかったんだと思っているのだけれど、でも彼の魂の叫びのようなあの一言が、あの頃にもうすでにおかしくなっていた日本のダイビングシーンを如実に物語っていると、ぼくは今でも思っている。

なのであの言葉はなんら間違っていないと、今でもぼくは信じている。

ぼくなら、もうすこし柔らかく言うけど。身を守りたいし (笑)

え?柔らかくない?そりゃまた失礼。

たぶん田原さんは「自分の能力を高めることでリスクを回避する、もしくは減らす」ということを追求していった結果テックに進んでいったのかな、と思える。

まるで登山をやっていた人が、縦走、冬山などいろいろ経験を深めていくうちに、最終的に安全を確保するにはビレイをきちんととる岩しか無いってなるように。

不確定要素を削っていくと、結局そうなるのだと思う。もともとレジャーダイビングのマニュアルも「最終的には全機材を捨ててでも生還せよ」ってなってたし。

昔の潜水指導書って機材を当てにするなって書かれてたんやで。

水深 -21m からスクーバユニット (当時は BCD など存在しない) とウェイトを捨てて、水面に脱出する本当の意味でのベイルアウトが教本に書かれてた。

そんな本をガキの頃に読んでいたので、憧れはあるけれどおれには絶対無理だなって思ってた。

当時は BCD など存在しないって書いたけど、実は当時残圧計も存在してなかった。残圧が減ったら一度エアの供給が停止して、レバーを引くと残圧が供給される J バルブっていうバルブが着けられたタンクが一般的だった。

なので昔は (もちろんぼくがダイビングを始める前だけど) 一度停止したエア供給を再開させるためにリザーブレバーを引いて、それから浮上に取り掛かるっていう手順が一般的だったっていうのを本や雑誌で読んでた。

その頃の雑誌には普通にスピアフィッシング大会の成績とか大会の模様とか掲載されていた、そんな時代。マリンダイビングとかダイビングワールドにやで?ダイバー誌はまだなかった。

なので昔のダイバーは、日本で初めてインストラクターになった人たちの大半の人たちを含めて、泳力がすべて、って人たちがほぼ全てで、最初のころはフリッパーもスキンダイビングも量的に無茶苦茶やらされるのがダイビングの講習だった。ひたすら泳がされるって感じ。

ぼくが C カードを取った 1987 年頃になると、OW の講習は整備されていたし、BCD も残圧計もすでにあった。ぼくがダイビングを始める少し前には OW とアドバンスの講習が分離してもいた。NAUI の場合はなぜかその間に OW II っていうのがあったけど。

内容を見てみると OW II とアドバンスの違いがまったくわからない。OW II でやる SP とアドバンスでやる SP が被っていたので、なにがどう違うのかさっぱりわからなかった。後に OW II は消えて、OW I は OW になる。名称は一時的にスクーバダイバーって名前に変わったけど今は OW と呼ぶ。

ただ実際には OW II の認定は便利に使われていた。ボートダイビングが含まれていたから。どうみてもファンダイブってダイビングを数本行えば OW II のカードは申請できた。

なので OW I を取るけれどすぐに海外でボートで潜りたいってゲストには OW II を続けて開催することで、ニーズを満たすことはできた。

OW II はダイビングの体験を広げるっていう目的しかなかったので (実際はアドバンスもだけど)、ファンダイブで要件を満たせていれば充分だった。

もちろんそれで安全に潜れるダイバーになってるかどうかというのは、ゲスト次第ということになる。でも OW I を終えてすぐに OW II を取るのは、ボードダイビングしかできなくなりつつあった串本では都合が良かったと言える。

OW II がない現在どうするのかというと、

と、いずれかの方法でゲストがボートダイビングを可能になるように運用していた。そうしないとゲストが串本の海から締め出されてしまうから。これは串本にかぎらず、ほぼ日本の海すべてでそうなっていた。

なので昔のボクらの時代のようにアドバンスは 100 本越えてから、なんて悠長なことは非現実的になりつつあった。

そうしないと OW しか持っていないダイバーは、講習が行われたのと同等の海域、海況でしかダイビングをできないことになっているから、関西のダイバーであれば、例えば白浜の円月島や串本のオレンジハウス前などでしか潜れないという困ったことになってしまう。

漁協との関係でボートダイビングに移行してもらわないと、行動がとても制限されてしまう。OW でおしまいというわけには行かないのが、少なくとも関西の実情だった。

かといってぼくらは立場上コース基準違反を、はいどうぞ、というわけにはいかない。建前ということになってしまうのかもしれないけれど。そうするとやはり OW II、現在ならボート SP やアドバンスを早く取ってもらうしかないってことになってしまう。これは 1990 年代でもそうだったし、現在でも変らない。

昔話はこれくらいにして、テックとぼくらのレジェンドに当たる人たちの泳ぎが全て、って話に戻す。

一見すると相反するこの2つだけれども目的ははっきりしていて、しかも目的は全く一緒である。

「どんなときもコントロールを失わず維持する」

これがどちらの方法論でも最大の目的になっている。ただそのための方法論が違うのと、昔は機材に信頼性がなかったのでレジェンドたちは自分の泳力、スキンダイビング能力に頼る以外の選択肢がなかった。

だから危険とも言えるトレーニングに精を出していた。あまりに危険すぎるのでぼくはどうしても彼らに賛同できなかったけれども、だからと言って泳力が不要で、スキンダイビングの能力が不要であるはずはない。ぼくらの世代からは機材の信頼性の向上にスキル不足が助けられているに過ぎない。

とは言えすでに信頼できる機材が存在する時代になっていたのに、危険なチキンレースを繰り広げ、実際に多くの仲間の命を喪失していたレジェンドたちに賛同するわけにはいかなかった。

でも泳ぐ力やスキンダイビングの能力は不要ではないから、ぼくは危険がない程度にほどほどにと言っている。ITC でブラックアウトで死亡者がでるなんてことがあっては、やはりいけないと思う。

話が逸れた。この話題になるといつも話がそれてしまう。目の前で人が死にかけたというのは、それだけ衝撃的だった。それを是とする当時の ITC のあり方と、それを是とするレジェントたちに対する激しい敵意と憎悪もそのときに植え付けられてしまった。

なんてことがあるのでつい話が逸れてしまう。申し訳ない。

「どんなときもコントロールを失わず維持する」

これがダイビングという、本来人が生きることができない場所で行うアクティビティの本質である。これはぼくらが行っているレジャーダイビングというジャンルでもなにも変わらない。

OW で学んだことを思い出してほしいのだけれども、マスククリアひとつとっても、やっていることは単にマスクに入った水を出すスキルを学んでいるように見える。

そのように見えるけども実は違う。

マスククリアは水中という自分が決っして生きられない特殊な環境で、自分自身にストレスを加え、ストレスに屈してパニックを起してコントロールを失い、事故まっしぐらになってしまうことなく、ストレス状況に冷静に対処して自己コントロールを再獲得する練習である。単にマスクから水を抜くようなシンプルすぎる目的でやっているわけではない。

レギュレータリカバリーもそうだし、機材の脱着もそう。すべてストレスコントロールである。

OW コースの本質はコントロールをロストしない、減圧症の予防、海という人にとって特殊な環境への理解と適応に集約されている。

OW を取り立ての人にそこまでの理解を求めるのはさすがに難しい。だけれどもインストラクター、アシスタント・インストラクター、ダイブマスターがそれを理解していないのはあり得ない、ということになる。それがわかっていないと安全なダイバーを育てるというぼくたちの至上命題が達成できない。

そうなのだけれども、本当に若い人たちはそれがわかってるか?そう思うことは少なくない。

アドバンスもレスキューもマスタースクーバダイバーもダイブマスターもアシスタント・インストラクターもインストラクターも、なんならコースディレクターでさえ OW の延長でしかない。OW の深堀りとバディコントロールの拡大でしかない。

…………

てなことを氏の記事を読みながら、いろいろ振り返って考えている。

自分で読み返して、アシスタント・インストラクターまでにしかなれなかったくせに、なんか偉そうって、自分でも鼻で笑ってしまうのだけれど。