The road Orz passed by 2026 年 07 月
07 月 10 日 ( 金 )
わが友マキアヴェッリの一節に思う
塩野七生のわが友マキアヴェッリにこんな一節がある。
『サヴォナローラの説教は、「冷静に思いめぐらすことが不得手な人々に対しては効果ある、大げさな脅しではじまる」』
この本を読んだときにこの一節がなぜか頭にこびりついた。こびりついたと言うよりこういうことなのだと思う。
この一文はマキアヴェッリがサヴォナローラを喝破したように見えて、群衆というか集団としての人を喝破したのだ。
そのようにぼくには読める。
人はかつて様々な過ちを繰り返してきたけれども、そこに見られるのは、感情を揺さぶられることで盲(めしい)になった集団としての人だった。
ぼくは冷静さを失う多くの人を見ながらマキアヴェッリと似たようなことを考えていた。
「人は冷静に思いをめぐらすことが不得手である」
ぼくが生きている間でもそれを証明する出来事がたくさんあった。
一つはとある地方としで、プロパガンダに限りなく近い広報戦略でもって、地方自治体の権限を奪取したとある地方政党。
ぼくの住所地である地方自治体でも、やはり選挙のときにい広報会社による広報戦略によって、部下を死なせた首長が返り咲いた。
そのときの支援者の声が「既存メディアに新メディアが勝利した」だった。首長を選ぶという選挙の目的とまったく関係がない。
そして数年前から続くネットによる混乱。
「人は冷静に思いをめぐらすことが不得手である」
また最近若い人との議論で、集合知は望ましくない状況を正す、という意見を聞いた
ぼくは即座にそれを否定した。
「人類史上、そのようなことがあった歴史は存在しない。それを否定する歴史は山のようにある」と。
そのような時代が正直来てほしいし、それを信じたいが、それを期待できるだけの行い、思考をする人をみたことがない。ぼく自身もそうだ。
「人は冷静に思いをめぐらすことが不得手である」
ぼくは根源的にはぼく自身にも人にも期待していない。期待したいけど期待できない。マキアヴェッリのような現実主義にどうしても落ち着かざるを得ない。
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