The road Orz passed by 2026 年 05 月
05 月 14 日 ( 木 )
Dive #157 海と責任とプロフェッショナリズム
久しぶりに構成だとか何も考えずに書き始めている。最近慣れないマニュアルっぽいものや事故報告書のようなものを書くのに集中しすぎて疲れているというのもある。
なので今回はもしかすると他人に対する暴言が飛び出す可能性も否定できない。その際はご容赦願いたい。
最近海洋での事故の分析などを個人的にしている。
もちろん事故の分析なので、安全工学の視座を失わないように留意しており、単に人を批判したり非難する目的ではなく、人がなぜそのようなミスをしてしまうのか、なぜそのような判断ミスをするのか、なぜ見えているはずの問題に気が付かないのか、といったヒューマン・ファクターにもフォーカスして事故の原因を究明しようと試みている。
そしてそのようなヒューマン・ファクターをカバーするシステムづくりはできないか、それが対策に結びつかないかと考えている。それが医療業界、福祉業界、航空業界、船舶業界などと同様に将来の事故を予防すると信じるから。
それと責任の追求は被害者や被害者家族、その支援者、捜査機関、法曹が行うし、任せれば良いと考えている。
ぼくがやりたいのは多くの人が無視するか気にもしない事故原因の論理的追求と対策だ。責任の追求に興味がないわけではないけれど、それはぼくがやらなくても多くの人が不必要なほどにやっているので、ぼくのすべき役割ではないと思っている。
ただ海の事故でときどき思うのは、この人たちは海のプロフェッショナルと呼べるものではないな、ということだ。今回は事故の客観的分析を離れて、海のプロとは何だろう、ぼくはそれを現時点でどう考えているんだろう、ということを話題にする。
海のプロフェッショナルであれば、今現在海を仕事場にしている人や、かつてアシスタント・インストラクターでダイブマスター候補生であったぼくがそうであったように、人を水中に案内したり船に乗せたりすることの責任の重さを肌で感じている。理由は簡単で海では人が簡単に死ぬからだ。
お金をもらって生活しているからプロだというわけではない。命に対する責任を負っている自覚の有無がプロかそうでないかを決定する。
命に責任を持っているという自覚があるのなら、不用意な発言はできなくなるし、不用意な行動はできなくなる。責任が発言と行動を縛る。
辺野古崎南東沖で2隻の小型船が転覆して2名が死亡するという痛ましい事故があった。詳細を調べていくと、両船の船長にはプロフェッショナリズムが欠けていたように見える。少なくともぼくには彼らに人の命を背負うというプロフェッショナリズムを感じ取ることができなかった。無論結果だけでそう断定することはできないのは承知だけれど、やはり彼らにプロとしての資質を感じることはできなかった。
もちろんプロフェッショナリズムを獲得する機会が彼らにはなかったといえばそれまでなのだけれど、他人の命に対する責任を背負おうとしない人間は、プロではない人間は、人を水中に案内してはならないし、船に乗せてもならない。やはり、そうぼくは考えてしまう。
背負いきれないことと、背負おうとしないことは明確に異なる。また背負おうとしなければならないことを知らない、は論外である。とはいえ背負いきれないことを知るプロは非常に多い、というより大半のプロがそれを理解している。しかし背負いきれないけれど背負おうとする。それがプロだ。海のプロは命がけなのである。
一般の人はそのことを知らないし、知らなくてもいいけれど、ただときどき、ちょっと待ってくれ!!もうちょっと知ってくれ!!と叫びたくはなるけれど
責任責任と書いてきたが、これは何かあったときに自分の人生が詰むことも意味している。それがわかっていない人間は、水中に人を案内すべきではないし、船に人を乗せるべきではない。
プロになろうという者は目の前の先人がどれだけ人の安全を守るために、どれだけ心血を注いでるのかを理解したほうがよい。そしてプロになるのであれば、その責任を背負うその仲間になるのだという理解が欠かせない。
宗谷岬沖でダイバーが流された時、現地のダイビングサービスオーナーインストラクターは、現地の海の流れを熟知するだけでなく、岬から北への流れに捕まらず沿岸から離岸したいための判断と全ダイバーへの適切な指示と行動により、全員生還という奇跡を起こしている。
世の人は彼を非難したが、ぼくには多くの生命の危機を救ったプロフェッショナル中のプロを見出している。もし引率が彼でなければ、あの漂流事故はどうなっていたかと考えると、背筋が凍る。
その後も彼は立派であった。全責任は自分にあると明言し、そして今後の対策に活かすことも明言した。今後も責任を背負い続けること、そしてその覚悟の宣言である。
それだけではなく彼は全員生還という奇跡を達成したにも関わらず、まだできることがあった、自分はまだ足りないと言ってのけている。これをプロフェッショナリズムと言わずしてなんというのか。
だからぼくは稚内のあの若いオーナーインストラクターの彼を尊敬する。プロフェッショナルとして尊敬する。
世間は彼を非難し続けるであろうが、ぼくは彼を永遠に尊敬し続ける。彼が何をやってのけたのか、そしてこれからどうしようとしているのかがわかるから。
だから今回の漂流事故で折れてしまわずに、これからも多くのプロフェッショナルの指針となって欲しい。
ぼくは尊敬している。
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