このブログの記事に中田誠という人の話が登場する。ぼくは元アシスタント・インストラクターだからではなく、アシスタント・インストラクターになる前から、ぼくがまだ Open Water I Diver だった頃から、彼の論が大嫌いだった。
このブログで取り上げられている中田誠氏の論の何が嫌で不快かというと、自分が作り上げた "商品スポーツ" などという机上の空論をスクーバダイビングに無理やり当てはめてるところにある。
彼の論では "商品スポーツは、消費者がその実行後に、支障なく日常に復帰できることを前提とした一般向けの役務商品" であり、それが商品スポーツだという定義になる。
だけれど、人が生きられない水中で行うアクティビティでそんなものが成立するはずがない。前提が根本的に間違っている。
彼がオープン取り立てのペーペーの頃に、海外でのダイブマスターがブリーフィング通りに行動しなかったことで命を失いかけたことには激しく同情するけれど、"商品スポーツ" などという現実を無視した概念をダイビングに当てはめるのは、ダイビングというもともと危険な場所で行うアクティビティに対して当てはめるのは、前提そのものがが根本的に間違っている。
スクーバダイビングを "商品スポーツ" として提供するようなサービスが林立したら恐ろしいことになる。それこそどれだけの人が海で命を落とすことになるのか。彼がそのことを一切考えていないことに慄然とする。
須賀さんもブログで言っているが、"お客がこの定義のような要求をする振る舞いがあったならば、やめてもらう" しかない。それが容易に命を落とす場所で行わざるを得ないスクーバダイビングというアクティビティの宿命だ。登山もしかり。"商品スポーツ" という概念そのものが海でも山でも成立しない。アウトドアをなめてんのか?ってセリフしか出てこない。
"商品スポーツ" の提供はいきなり倒れても死なない場所でだけ受けてほしい。中田氏がまさに体験したように海では呼吸はできず、呼吸源を失ったら浮上しなければ死ぬしかないのだ。
インストラクターやダイブマスターのアクションを待っていていけない。待っていたら死が近づく。待たずにバディと一緒に水面に向かい、死なない選択をしなければならない。
インストラクターやダイブマスターといった赤の他人に自分の命を預けてはならない。登山と同様に自分の命は自分で守るしかない。彼はそんな当たり前のことがわかっていない。
結局須賀さんはそういう言葉を使ってないけれど、ぼくがよく言うのは、安全を維持するための前提とシステムが破綻した時に事故が起きて人が死ぬ。本当に簡単に死ぬ。中田氏の論は最も重要な「前提」を破壊する。彼は自分自身の怨恨から、ダイビングの安全に必要な前提をそれと気づかずに破壊している。だからぼくは彼の論をとうてい受け入れることはできないのだ。
"商品スポーツ" なんて言葉を発明して流布し、ダイバーの他人への依存性を促進するような人は、他のダイバーの命を容易に失わせるような危険思想の持ち主なので、そもそもアウトドア・アクティビティなどに手を出してはいけない。自分で自分を守ろうとしないのだから、本人もいつ死んでもおかしくない。次は彼は死ぬかもしれないのだ。死なないために即刻全てのアウトドア・アクティビティから足を洗うべきだ。