バーr……blog のようなもの 2025 年 12 月

12 月 31 日 ( 水 )

Dive #99: 今年のまとめ

なんていうか今年 2025 年は内面的にはジェットコースターのような乱高下をしていた年ですが、このエントリー ( https://orzbruford.jp/202505/07.html#2025050701 ) のもととなったイラストを偶然生成できたのって何かの思し召しなのかもって思わなくもありません。

結局この生成されたイラストが全てのスタート地点だったな、って思います。これが生成されて自分がずっとやってきたブリーフィングを再現させたくなったことが、全ての始まりだった気がします。

これから実は 1999 年 3 月 21 日の住崎での一件を未だに引きずっていて、すごく後悔していて、しかも当時泣くことすらできなかったことまで思い出して (直後は号泣してましたけど)、26 年分の溜まった涙を今年は流すことができた気がしています。

でも浄化はされてません。キッパリ。今でも後悔の念と共に、いくらでも泣けます (笑)

今年 1 年いろいろ思い出してつらかったけど、あの出来事が自分にとってなんだったのか、やっと理解できた気がします。

救われたとはかけらも思いませんけど、また歩き出すことはできるかなと思います。年齢が年齢なのであまり時間は残されていませんけれど。

まぁ行けるところまで行こうかなとは思います。30 の頃の自分には戻れないことはわかっています。だけどできるだけあの頃に自分には近づきたい。そんな気持ちです。

うん。今年はここ数十年間で一番いい年だったかも。少なくともあのことが、そうか、そうやったんや、って腑に落ちたし。それが自分にとってここ数十年間での最大のイベントだったかも。

時間、かかったぁっ。かかり過ぎや。26 年……かかりすぎやぁっ。もう還暦過ぎてるもん。

Dive #100: 今年の最後に

一年の終わりということで、久しぶりに AI を使って個人図解をしてみました。

ひ、ひどい。ぼくこんな融通が効かない人間じゃないもん (ノд`)シクシク

chatGPT にまとめてもらった人物像を Gemini で図式化しました。

安全工学的思考っていうのはそうだと思う。なにせ柳田邦男先生のマッハの恐怖がバイブルだし。

ヒューマン・ファクターとかフェイルセイフだとかそんな言葉がぼくからポンポン出てくるのは、バイブルの影響。

事故が起きたとき、その構造を捉えようとするのも、やっぱり柳田邦男先生の影響。

事故はいろんな要因が重なった結果、事故へのパスが出来上がった結果起きることがわかるようになるけど、それってつまり事故を 0 にしたくても、それは永久には得られないってことに論理的にそうなってしまう。

でも 0 に近づけるための検討や努力を続けていけば、0 にはならなくても 0 に近づけることはできる。

でもやっぱり 0 には論理的にできないので、ぼくはその構造をロシアンルーレットに例えることが多い。努力を続けないと玉がヒットする確率がとてつもなく増えてしまう。

努力やそのための理解を放棄した途端に、世界は牙を剥く。だからぼくはオープンウォーターで学んだことを大事にして、基礎を大事にしてって言い続けてるんだけど、言い方が悪いのか全然伝わらない。

でもって自分が疲弊してるのもわかってるし、大抵の場合、多くの人は危ない経験をまったくしないこともわかってる。でも理解や努力を放棄している姿をみると、その姿には危うさしか見ることができない。

多くのダイバーが安全が大事って言ってるけど、それって「安全が大事」って音を発してるだけで、実際にそれには何が必要で、どういう行動、価値観、どう考えないといけないのか、そういった具体的な思考や行動まで落とし込むことがなされてないので、それってただの念仏だからなにも変わってないとしかぼくには思えない。

だからぼくは怖い。

ぼくが 1992 年に大瀬崎や雲見で見たことで囚われてしまった恐怖感は、今もずっと残ってるし、世の中を見わたすともっと悪化してるので、どうしたらいいのかもうわからなくなってる。

どうしたらいいの?だれか教えて。助けて。


P.S.

chatGPT に、今のような救難艇でいようとするんじゃなくて、灯台になれ、と言われました。なるほど、と思いました。たしかに救助ロープを拒否する人は助けようがないもんね。灯台の光なら必要と思った人は見てくれる。必要な人に見てもらえれば良い。たしかに一理ある。

【事故】小4男児死亡プール事故初公判

一年の終わりということで、さっきのエントリーで終わりにしようと思ってました。でもスマホのニュースでこんなニュースが飛び込んできたので、所感をちょろっとだけ述べさせてください。

ちょっと頭の悪いぼくに、誰かわかりやすく教えてください。

これってどう見ても高知県高知市の教育システムの欠陥にしか見えないけど、なんでシステム上の欠陥の責任を、責任を持ちようがない現場担当者に押し付けてんの?

問題は硬直した上意下達の教育システムの機能不全でしょ?

システム自体にメスを入れて矯正しないと、また同じことが起こるんじゃないの?なんで現場の当事者を罰してなにかやった気になれてんの?なんで不幸な事故からなにも学ばないの?なんで終わったかのような錯覚で満足してるの?

過失があったとはいえ、あずかったお子さんを亡くしてしまって、お前が殺したって言われて恨まれて傷ついている人を鞭打って満足するだけなの?不具合のある教育システムには手を入れないの?

最近目にする水泳授業廃止論みたいな非現実的な主張が多く見られるのってそういうことなの?

なんかみんな狂ってない?