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12 月 30 日 ( 火 )

Dive #98: 何もできないダイブマスターに始まってぼくの話

とても古いポストへの反応になってしまうのですけど、空リプっていうことになるのでしょうか。

実はなにもできないダイブマスターの人って少なくありません。たぶん仕事でちゃんと潜ったことがないからなんじゃないかなと思います。

コース基準を満たしたからなれちゃったダイブマスター。ダイビングスキルはあるけど、ゲストをケアする能力、講習では習わないけど海での仕事で必須のことを普通に行う能力、そいういう能力が一切欠けているダイブマスターはたくさんいます。

資格を失効してから20年以上経つアシスタント・インストラクターよりも、ちょっとこれはひどい……って人はけっこう見かけます。えらそうですいません。でも何もできないダイブマスターを本当にたくさん見てきたので。

つれてきたオープンウォーターの子を一顧だにせず、バディシステムすら無視してダイビングを楽しんでいるダイブマスターもわずか 1 ヶ月の間に何人見たか。

その人のバディがベテランのインストラクターや、アシスタント・インストラクター、ダイブマスターだっていうなら分からなくもないのですが、見ていてフォローが絶対に必要なスキルレベルのオープンウォーターダイバーなのに一顧だにしないのは、さすがにおかしいと思うのです。

なんかいろいろ根本的におかしい、今のダイビングシーンは。

ぼくがアシスタント・インストラクター認定された直後に、ぼくと同じく ITC に参加希望の女性がアシスタント・インストラクター・コース受講していて、そのコースのアシスタントにぼくが入ったことがあります。

その女性と一緒に -30m からの溺者引き上げのトレーニングを交代で串本の下浅地でやってたときの話になります。

最初はぼくが救助者役で彼女が溺者役です。ブリーフィングで師匠から中性浮力を保ってやるように言われていたのでその通りにして、とくに問題もなくぼくは水面までの引き上げを終えました。二人分の BCD の操作をしなければならなかったので、忙しかった記憶はあります。でもとくに危なげなく彼女を水面まで引き上げました。

次にぼくが溺者役で彼女がレスキューをする番になりました。ですけれど彼女の表情が -15m あたりから苦悶の表情になって、-5m くらいで、ぼくを引き上げる余裕も完全になくなって、あ、このまま放置したらこの子溺れて死ぬわ、って状態になりました。

なのでぼくは彼女の BCD とインフレーターホースをつかんでコントロールしながら浮上したのですが、そのとき思ったのが、-30m からはたしかにきつすぎるけど、-5m から溺者を水面に持っていけないっていうのは、いくらなんでもやばくね?しかも救助者側が本当の事故になりかけてるし、ってことでした。

ぶっちゃけ彼女は -30m からずっと中性浮力を取れてなかったから、溺者引き上げができなかったってことになります。要は力技でぼくを -30m から水面まで引き上げようとしてたのですね。でもそんなの獣のような泳力がないと、できるわけがない。

また別の時期にぼくはダイブマスターコースを受けていました。アシスタント・インストラクターとしては認定されていて、業務経験も短いながらなくはない、でも海にもっと強くなりたいと思ってダイブマスターも取得しようと考えました。

そのダイブマスターコースで、ぼくはガイディングのトレーニングで、みなべのショウガセにゲストを案内するってことを何度もやっていました。

-40m のショウガセで、指導団体名は伏せますが、実はダイブマスター候補生とアシスタント・インストラクター候補生の多くが -40m で中性浮力を取れないってことを何度も何度も経験することになりました。

なんで?とは思ったのですけど、中性浮力が取れないって人は、ダイブマスター候補生であろうとアシスタント・インストラクター候補生であろうと多いってことは、そのダイブマスターコース中に知りました。予想外でしたけど。

そんなこともあって、やっぱりダイブマスターにしろ、アシスタント・インストラクターにしろ、大半の人にとってはなってからが、やっとこさスタートラインなんだなってことがわかりました。認定された状態だと本当にただのファンダイバーと変わらない。

ぼく自身が同様のトラブルを経験したことがないのは、それはたぶんアマチュアランクのマスタースクーバーコースから、もうすでに客として扱われてなかったからなんだと思います。実際に怒鳴られることこそありませんでしたが、やはりおかしなことをやったり言ったりしたら怒鳴られてたでしょうし。

ITC を受けて開業したいって師匠にははっきりと言っていたこともあって、師匠や先輩インストラクター (先輩インストラクターは 1 人を除いてみんなぼくより若かったけど) から盗めるものは盗もうと、細かい行動までじっと見てた。

なんでそうするのかをずっと考えていて、分からなかったら教えてくださいってのを繰り返してました。適当に潜ってる人なんて 1 人もいなかったので、そういった疑問には全部答えてもらえていました。

ミスや見落としをすると、後でなんであんな風にするのかわけがわからん、とため息まじりに言われて、それは怒鳴られてはいなくても、精神的にはキツかったけど、でもそんなときこそ大切な学びの時間でした。怒鳴られているときも大切な学びの時間です。

そんな感じでマスタースクーバダイバーの講習の時から、OJT みたいな感じ、というか OJT そのものでした。

だからコース基準を満たしてるからOKなんて世界で、ぼくは生きたことがないので、今のダイブマスターのなにもできなさと、なにもできないのに自信だけがあるのが、わけわかんなかったりします。

ダイブマスターコースは事情があって師匠のところではなくて、別の店のダイブマスターコースを受講することになりました。

そのあたり師匠とぼくのあいだでタイミングの悪い行き違いがあって (たぶん誰も悪くはなくて不幸な事故があったとしか)、22 年間ずっと師匠にぼくが師匠を捨ててよそに行ったって、誤解されてることが、このまえ串本でわかったのですけど、えっと師匠、それだけは違うんですよ?絶対に違います。

どれだけ怒って問い詰めても、ぼくはそれに対して絶対に Yes とは言いません。だってそれは事実じゃないから。

開業を目指して必死だったぼくを、師匠がどれだけ支えてくれていたかぼくは今でも忘れていません。師匠がぼくにくれたアドバイスはインストラクターを目指す人間へのそれではなくて、同業を目指す後輩にするアドバイスだったじゃないですか。それでいろいろ悩んでいるぼくを支えてくれていたじゃないですか。そんなの忘れられるはずがない。

師匠の元を去っていった、この仕事のことをよくわかってない若い子らと一緒にしてもらっては困ります。

ぼくは師匠のようになりたくて、ぼくはずっと師匠の背中を追いかけて、師匠の姿が見えなくなったときも必死で探していました。ぼくはまだ師匠の力を、師匠の助けを必要としていたから。

ぼくが師匠の元を離れるときは、ぼくが独立して開業して、ぼくは出来の悪い後輩かも知れませんが、そしていつか師匠とタッグを組んで、ってことしか眼中になかったので、師匠から離れたって事実はありません。事実じゃないことをいくら師匠にでも認めるわけにはいかんのです。

と、その話は今は置いておくとして……

その別のお店ではダイブマスターコースとアシスタント・インストラクターコースをそれぞれ2つに分けてました。一つはコース基準を満たしてたらOKコース。これはお客さんに説明する時に、ダイバーとして成長したいって人のためのコースと説明されてました。

もう一つが実際に仕事で使えるダイブマスター、またはアシスタント・インストラクターになるためのコース、つまり OJT コース、別名修行コース。

ぼくは開業を目指していて、海にもっと強くなりたかったから、アシスタント・インストラクターってだけでなくて、ダイブマスターも取ろうと思ってました。

だから当たり前のように OJT コースを選択したので、やっぱりここでも OJT を繰り返すことになりました。だからコース基準を満たしてるからOKなんて世界は、ぼくの場合はやはり経験したことがありません。

他の人は先の基準を達成してればOKの簡易コースを受けて、どんどんダイブマスターやアシスタント・インストラクターって肩書が付いていきました。もちろん彼ら彼女らは別に劣ったダイバーということではありませんでしたが、ダイブマスター、アシスタント・インストラクターとして仕事ができるかというと話は別になります。

ぼくはというと 1 年半経っても認定の "に" にすら近づくような実感がまったくありませんでした。

それはやっぱりダイビング毎になんらかの問題は起きて、それに対処もするんだけど、絶対に何かは起こるので、OKが出ない。出ないから認定はない。OJT だからOKも認定もない。終わりなんてあるはずがありませんでした。

だってインストラクターになっても、何かしらのことは毎日のように起きます。インストラクターになってもショップオーナーになっても、キャリアを終えるまで何かしらのことは必ず起こります。ですからそもそもコースが終わるはずなんてことは、絶対にあり得ませんでした。

だからぼくだけでなく、ぼくを熱心に指導していたそのショップも、終わりなき無理ゲーに挑んでいた状態だったって今なら言えます。

だから住崎であんなやらかしをやってしまったときに、師匠が串本に移転していたことを知ったのだから、その時点で師匠の元に帰ればよかったんです。その背中を追いかけてきた人のところに戻ったほうがいいに決まってます。

そしたら、さすがにそれは時間のムダや、さっさと ITC に行ってインストラクターになって来い、今のお前ならなれるから、それで俺のところに戻ってこい、使えるインストラクターに仕上げたるから、で、さっさと開業して一緒に串本でやろうぜ、って絶対に言ってくれてたよな、って思うんです。

あ、なんか途中から結局自分の話になってますね。やっぱり 20 年以上、後悔を引きずっているからしゃーない。後悔を引きずってるって今年になるまで気づいてませんでしたけど。

今ならわかるんですけど、ぼくがこの人たちのようになりたい、だとか、この人たちからいろいろ盗みたいって思ったインストラクターたちって、師匠を筆頭に、なんでも1人でやってしまう超人みたいな人過ぎたってことなんだと思います。

超人がやっていることが誰でもやっているスタンダードだと勘違いしたぼくが馬鹿だったんだと思います。超人に近づくにはもっと段取りってものがあるはずなので。

あれをやらなきゃいけない、今できなきゃいけない、って思い込みが、ぼくが住崎で自分のエアが少ないって、たったそれだけのことで頭が真っ白になる、静かな誰にもわからないパニック状態に追い込んでしまったんだな、ってことが今ではわかります。

やっぱりあのときはまだ「あほ!!一足飛びにおれらみたいになれるはずないやろ!!」って言ってくれる人が必要だったんだと思います。そんな当たり前のことをスコーンと言ってくれる人って師匠しか思い浮かばないのですけど。

やらなきゃいけない、それを今できるのは当たり前、はリスクでしか無い。段階を踏め。そしたら嫌でもできるようになる。山を登るように歩め。最短距離を全力疾走したら潰れるに決まってる。最短距離ではなくて歩くべき道をしっかりと踏みしめて歩め。

この道に進むことを決めた 1993 年当時のぼくに怒鳴ってでも分からせたい、そんな気持ちです。

なんとなく今日まで書いてきたことで、頭の中では 1999 年 3 月 21 日の住崎でのできごとの決着が着いたような気がします。あのときのぼくがなにを間違えたのか、やっとわかった気がします。わかるのが遅すぎるし、本当にわかったっていう保証もないのですけれど。

これで後悔が消えるわけではありませんが、とりあえず来年、手術が終わったら、また歩き出そうと思います。もう走れる歳でもないし (爆)