バーr……blog のようなもの 2025 年 12 月

12 月 13 日 ( 土 )

Dive #89: 2025/09/10 を思い出して

最初に

またこの手の話かと思った人は、速攻でタブを閉じるなりして回れ右してください。いつもの通りに全体を考えずに書いていきますが、たぶんウェットなテキストになるんだろうなって自分自身で予測できるので。はい、回れ右ですよ、回れ右。

以下奇特な人だけどうぞ

ぼくが本当に潜れなくなって、今年の 9 月 10 日に潜ったのって、どれくらいの期間が実際に開いていたのか、思いつきなのですがなるべく正確な数字を知りたくなって調べてみました。

潜れなくなる前の最後のダイビングが S2 Club 主催の 2004 年 09 月 19 日 (日) の和歌山県大島沖でのブルーウォーターダイビングだということはわかっています。ログブックも残っていますし。

なぜ師匠の店じゃなくて S2 Club なのかというと、このとき、師匠は串本のダイビングサービスを閉業していて、業界から完全撤退していたからなのでした。ぼくはこの頃は一緒に潜りに行く友人もいませんでしたし、師匠が引退していたら行き場所が S2 Club しかなかったのです。S2 Club さん、そんな消極的な理由で選んですみませんでした。

ログブックを見ると、あんたがダイビングと海が好きなのはわかった、でも酒を飲みすぎやろ、って他のお客さんにやたらと突っ込まれている書き込みがありました。かなり醜態を晒していたようです。

おれ、酔っ払いながら何を喋ってたんだろう?気になる……まさか他のお客さんの目の前で泣いてたりせんよな?

このときはぼくがダイブマスターを受講していたことも、元々アシスタント・インストラクターだったことも伏せていたのです (このときにはもうアシスタント・インストラクター資格は失効していました)。引率のインストラクターにもばらさないでくれって頼んで。

もう自分がプロとして潜れるとは思っていなくて、ファンダイブならできるだろうか、と試行錯誤していた時期に当たります。

結局このダイビングをもって、ぼくは 20 年以上ファンダイブすらできなくなってしまったのですけれど。

結局ファンダイブも無理でした……

そんないろいろがあって、ダイビングを再びできたのが (できたと言えるのかと言うと疑問ですが) 2025/09/10 串本備前ということになります。予想通り悲惨な 1 本でしたけど。

それで空いた期間がどれくらいなのか?を調べたら 20 年 11ヶ月 22 日もの歳月が過ぎていることがわかりました。日数にして 7662 日。なげーよ。長すぎるよ。

2025/09/10 串本備前がどう無様で悲惨だったのか。

まぁ、率直に言って潜れなかったわけです。ログと被りますが、自分の適性ウェイトすらわからなくなっていました。

潜れなくなった当初、ぼくは 3mm のフルスーツで 2 kg のウェイトで潜っていました。先程の 2004 年 9 月 19 日のブルーウォーターダイブのときの話です。

この日ぼくは作りたての 5mm のフルスーツを着ていました。5mm なので単純計算で 4kg あれば充分だろうと考えたのです。馬鹿ですよね。そんなの潜れるはずがない。

ぼくが水面や潜降でバタバタやっていると師匠が上がってきて、ボートに上がれという指示。何キロつけてる?と訊かれたので 4kg と答えました。

アホかっ!!お前は!!

怒鳴られました。そりゃ怒鳴られますよね。

お前は以前講習でなんて教えてたっ!?何キロって言ってた!?言えっ!!

ぼくの今の体重なら 10kg をつけてください、って言ってました。

馬鹿じゃないのか!?なんでそれをやらん!?

す、すみません、もう何もかも忘れてます。

今すぐ準備しろ!!準備してすぐ入れっ!!

い、いや、でも、やっぱり、ぼく無理です。ダイビングはもう無理です。

分かっていたとは言えショックもあって半泣きでした。怒られたから半泣きなのではなくて、やっぱり潜れない、ってことで半泣きになってました。

あほかっ!!なんでおれが面倒見てると思ってんだ!!いいからすぐ準備して、すぐ入れっ!!

師匠に逆らうなんてできないので、半泣き状態のまま、ウェイトを準備し直して再エントリーしました。なにせゲストにご迷惑をかけてるので、もう精神的に一杯一杯でした。

結局この日、備前の後に住崎にも潜ったのですが、やっぱり一杯一杯で、潜り終わって店に戻るまで、そして宿兼師匠の自宅に戻っても「お前はそれでもアシスタント・インストラクターだったのかっ!?」という叱責と、これとこれとこれができてない!!分かってんのか!?という波状攻撃を受けていました。

指摘されていることは全てできていないことが自分でも分かっていたので、師匠に怒られなくても激凹みです。たぶん顔は青ざめていたんじゃないかと思います。

Diving Log の方にも書きましたが 13 日も潜っていけと最初は言われてました。でもこのときからその話は一切でなくなりました。ぼく自身ももう潜るのは無理だと思っていたので、話が立ち消えになったこと自体は当然だろうと思いました。

でもまぁ、これからそんな気持ちで残りの人生を過ごすのも嫌なので、前を向いて歩くためにも、串本にいるあいだは、一緒に潜ることはなくても、師匠のお客さんとは一緒に楽しく過ごしていこうと思って、それまでは避けていたお客さんと一緒に居るってことをするようにしました。

師匠には見透かされてたのですが、やっぱり 20 年以上潜っていなかったぼくが余計なことを言って、場の雰囲気を壊すのが怖かったから、師匠の今のお客さんと一緒に過ごすことを避けていたのですね。しかもしっかり言われました。20 年のブランクがあって今のダイバーと話が合わなくても、今の話ができなくても 20 年前の話はできるやろ!!それをすればええやろっ!!って。

なんかね、師匠って、そういう当たり前なんだけど、ついなにかあったら忘れがちになる、すごく大事なことを怒りながらですけど、教えてくれるんですよね。教えてくれると言うか、思い出させてくれる。

串本に来る前から、もうぼくは潜れないって思っていたにもかかわらず、ダイビングの世界に接することすらできないって思ってたにもかかわらず、師匠はほぼ力技で、ぼくを海にダイビングに連れ戻そうとしてくれていました。

それで 13 日にやってくるゲストを迎えるに当たってのスタッフの軽い打ち合わせにも、なぜかぼくもそこにいました。11 日から入っている今のスタッフさんと同行のゲストさんがいらっしゃったのですが、その人たちのダイビング後の話に混ざっていて、そのまま連続して続いた 13 日の担当分けと 13 日のカップルをどう迎え入れるのかって打ち合わせに、なぜかぼくもそのまま混ざっていたのでした。

師匠はゲストのことはたいてい現在の 2 人のインストラクターにほぼ完全に任せる状態だったのですが、13 日のときは違いました。13 日に来られるゲストさんは若いカップルだったのですが、お二人共カードランクはアドバンス。ただ経験本数は男性が 10 本、女性が 8 本と非常に少なく、実質的にオープンウォーターダイバーであろうということが予測されていました。

それで担当割を決める時に師匠が一言。この二人は実質的にオープンウォーターだろうから、俺が見るわ。住崎の本根を楽しんでもらえたら満足してもらえるだろうし。そっちのグループはサクラコシオリエビ狙いで行ってくれ。おれはこの二人にこのアホを連れていかんとだめだから、そっちは頼むわ。

このアホって、その場にぼく以外にいないので、あれ?潜っていいの?ってなりました。ほんとに師匠は力技なんだから。

13 日にこられたお二人ですが、ログにも書いたかも知れませんが、男性は経験本数 10 本らしいダイビングをされていました。たぶんビーチでもう少し経験をつまれるとすぐにうまくなりそう、って感じでした。

女性の方は経験本数 8 本と聞いていたのですが、80 本の間違いなのでは?と思ってしまうくらい安定してきちんと潜れていて、ぼくも師匠もエキジットするなり、いや、8 本にしては上手いですね。って普通に言ってしまいました。

女性のフィンが TUSA KAIL の黒だったので、ぼくも師匠もやっぱりいいフィンを履いてると違うな、ってことを言ってました。

それで 13 日にお店で師匠に、あのぉ、さっきの急遽在庫になってしまった GULL Power Mew が欲しいんですけど、と言って、店で引き取り手が急遽なくなった GULL の Power Mew の黄色をぼくが購入してしまったのでした。

その後紆余曲折があって黄色の Power Mew は別のお客さんのものとなって、ぼくは GULL の SAFE Mew を発注してもらい、16 日にまたそれを履いて潜ることになったのでした。

今から考えると、師匠はぼくがやっぱりやめます、って言うことを見越していて、なにがなんでも俺の目が黒いうちは再開させるって思っていたのかも知れません。

そんな風に、ずっと昔から支えてくれる人だったので。怒るけど、でもその力技がなんだかいつもぼくを助けてくれます。だからですね、師匠ってとっても優しい人なんですよ。それが分からずに師匠の元を去ってった人も知ってますけど。